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岡山地方裁判所 昭和49年(ワ)28号 判決

原告 X1

〈ほか二名〉

原告三名訴訟代理人弁護士 河原太郎

同 河原昭文

被告 Y1

〈ほか一六名〉

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら

「被告らは連帯して原告三名に対し、それぞれ金二〇〇万円及びこれに対する昭和四九年一月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決並びに仮執行の宣言

二、被告ら

主文と同旨の判決

第二、当事者の主張《省略》

第三、証拠関係《省略》

理由

一、請求原因1(原、被告らの身分等)、同2(大方部落における諸行事)、同3(大方部落の役員等)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二、同4(村八分決議の原因)についてみるに、《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められる。

和気郡佐伯町加三方字新林一〇〇三番の第一山林六反七畝(面積は当時の表示による)は、原告X2の妻恵子及びその弟の共有名義であり、その所有権取得の経緯は、もと同町加三方大方部落の部落有であったものを、訴外亡一藤彦市(原告X3の妻栄の父)が入札によって取得し、次いで訴外亡B(恵子の父)が買受け、同人の死亡により恵子らが相続したものである。ところで、右山林内には、古来「竜王様」と呼ばれる祠があって、同部落住民の礼拝の対象となっていたが、同山林中右祠の周辺約三畝の部分は、前記入札の目的から除外され、依然同部落の所有のまま残されているとする者が部落内に多かった。そこで、昭和三八年一月九日頃の同部落の集会において、右の部分の立木を伐採、売却して部落の集会所建設資金にあてようとの発議がなされたが、原告X2、同X1(X2方の本家)及び訴外亡A(親族)らは、右部分を含む山林全体が恵子らの個人所有であるとしてこれに反対した。当日投票の結果は右計画に賛成の者が多数を占めたが、後日さらに話し合いを重ねるため、当時同部落の「ふれ元」を勤めていた原告X3方に参集した際、部落からの入札者がX3の義父(当時死亡)であったことからX3に真相を明らかにする責任があるかのような発言があったことから、原告X3も感情をこじらせ、結局、同原告を含む四名と賛成者ら(請求原因1にいう被告ら一三名及び亡甲野一郎)との意見が対立し、感情的な反目へと発展して行った。

なお、付言するに、訴外Aはその後他に移住した後に死亡し、前記伐採案に反対の者は原告ら三名(三世帯)となった。もっとも、問題の部分からの立木伐採はその後実行に移されていない。また一藤恵子、同和夫(恵子の弟)は、本件被告らの大半を相手方として、昭和四一年頃、前記山林に立入り、立木を伐採する等所有権を妨害する行為をしてはならない旨の仮処分申請、次いで同旨の本訴の提起をし、係争は数年間に及んだが、昭和四八年九月に至り、同事件被告らの請求認諾によって終了をみた。

以上のとおり認められる。

三、請求原因5(村八分決議)について、《証拠省略》によれば、前記対立を生じた後、被告らの間に、原告らと一緒にはやって行けないなどという声も出たので、この問題について話合うため、昭和三八年三月八日頃、被告Y1方に被告らが参集し、原告らを呼び寄せたが、その席上同被告らから結論的に、「部落を解散して、行事を一緒にやる人だけでやる」とか、「一切を分ける」「部落を割る」等の趣旨の発言がなされ、原告らに伝えられたことが認められる。もっとも、原告ら主張のような、「交際を一切拒否する」との言明があったと認めるには足りない。右のような発言内容や、その背景的事情、並びにその後の経緯等を総合すると、被告らの意図の核心をなすものは、大方部落そのものを被告ら一四名(一四世帯)及び原告ら四名(四世帯)の大小二個のグループに分ち、諸般の共同行事(祭礼等を中心とする)を被告らのみで行い、ふれ元等の世話役も被告らのみで新たに選出することとし、原告らが一グループとして独自にこれらのことを行うか否かは、原告らの判断に任せるという点にあったとみられる。そして、かような意図を生じた契機の一つとして、原告X3が当時部落のふれ元であったのに、前記のような感情的対立からか、一時佐伯町や加三方区等からの連絡事項を被告らに伝達しないことがあり、被告らの困惑や反撥を招いたことも無視できない。

これらの点からみると、被告らの意図ないし発言を、いわゆる共同絶交と名付けることに大きな誤まりはないとしても、それは必ずしも部落内全員と一個人との関係においてではなく、むしろ一種の集団現象として、部落自体の分裂に向けられたものであったと理解され、この点、いわゆる村八分とされるものの典型とはやや趣きを異にするものとみることもできる。

四、請求原因6(決議の実行)について、原告ら主張の項目にしたがって検討するに、前掲各証拠のほか、《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められる。

1、(1) 従来大方部落の世帯主全員(原、被告ら)で協議し、取りきめていた諸事項(祭礼行事その他の部落内共同行事に関するもの)は、昭和三八年三月頃以降、事実上被告らのみで決定し、また、ふれ元等の世話役も被告らのみのものとして選出し、右決定事項を原告らには伝達せず、原告らは祭礼を中心とする諸行事に参加していない(ただし、後記4を除く)。佐伯町・加三方区等からの連絡事項は、従前大方部落のふれ元に伝達し、ふれ元から全世帯に伝える慣例であったが、右のような状況となったため、同町担当職員らは、被告らのふれ元に通知するのと併せて、原告らに対しても別途通知をすることとした。

(2) もっとも、部落内諸行事や集会日等は、概ね従前からの慣例として日取り等が定められている。また、その後(時期は不詳)、大方部落内に有線放送の設備が設けられ、ふれ元とは別に右放送による伝達も行われているので、実際には、原告らが重要事項を知らされないという不利益はない。

(3) 加三方区(大方部落ほか二部落をもって構成する)の機関として総代八名がおかれ、うち二名は大方部落から選出されることとなっている。右選出自体は同区総会の席上行われるので、区から通知を受ける原告らは、これに出席して選出に関与することができる。もっとも、右二名の選考は、予め被告らの行う集会で事実上決定され、原告らはこれに参加していないし、仮に右選考に参加したとしても、被告らとの人数の差から、原告らが選考される見込みは薄いのが実情と思われる。

2、佐伯町加三方字荒神前に大方部落有の水田一反八畝があり、従来同部落の全員が共同で耕作し、その収益を部落の祭礼行事等の費用に充てていた(したがって、これを「神田」と呼び慣わしている)が、昭和三八年三月頃、被告らの発案によって、これを被告ら及び原告らの人数に接分して二区画に分割し、その一つ(五畝弱)を原告ら(当時四世帯)に割当て、原告らのみで耕作するように申し入れた。原告らはこれに従って昭和三九年、同四〇年の二年間は耕作したが、祭礼には参加しないため、その収益を祭礼費用に拠出することもなかった。その後原告ら四名のうちAが他に転出したため、比率を変えて再分割する話も持ち出されたが実現せず、また、一時は全員共同の耕作に戻そうとの機運も生じたものの、原告らの側に、祭礼等から疎外されながら耕作のみ共同を強いられるのは不当であるとの意見もあってこれまた実現に至らず、結局原告らは右水田耕作を事実上放棄し、被告らのみでその全部を耕作して現在に至っている(なお、原告らは右分割部分を被告らに取上げられた旨主張するが、被告らが実力をもって原告らの耕作を阻止または排除した事実は全証拠によっても認められない)。

3  部落有山林については右のような分割はなされず、松茸の入札やその収益の共同使用は被告らのみで行っていると推認され、原告らにその詳細は知らされていない。

4、用水池、水路、道路等の維持管理のための共同作業については、部落内の有線放送等を通じてそのつど原告らにも連絡され、原告らは欠かさずこれに参加している。

5、部落内各世帯の主婦は、佐伯町婦人会加三方支部の会員であるが、本件の紛争にからみ、原告X1の妻が支部長就任を辞退したような経緯もあって、部落役員から原告ら方への各種行事の連絡は行われなくなった。そこで、同支部からの連絡等は部落役員を介さず直接に原告ら方になされ、婦人会としての各種の集金等は原告ら世帯のみで行っている。もっとも、婦人会の行事自体近年では減少しているし、その後(時期は不詳)部落役員からの連絡は再び行われるようになった。

6、部落内の葬儀について、紛争発生の後間もなく原告X2の義父Bが死亡した際は、被告らの世帯員が手伝いに参加したが、その後被告らの側で行われた葬儀四回のうち三回は、関係者の拒絶的な言葉や態度から、原告らは手伝いをすることはさし控え、弔問だけに止めた。その後、原告らの側に葬儀の事例はないが、将来にわたり、被告らが手伝いを拒否することを推測させるような状況はない。

婚礼後の挨拶廻りは、かつては部落内全戸についてする慣例であったが、原告ら側、被告ら側とも互いにこれを取り止めたことがあった。もっとも、近隣同志の間では挨拶を続けているし、また、近年では、この種の挨拶はいわゆる近所廻り程度に止めるように変化しつつあることも窺われる。

7、路上で出会った際などにも、原、被告らから互いに挨拶をしない状態がしばらく続いたが、比較的早期にほぼ旧に復し、互いに挨拶を交している。

なお、原告らの子女の一人が一時期同じ年頃の子供達から仲間外れにされたことがあった模様であるが、その原因は明らかでなく、少くとも被告らやその家族の働きかけがあったと認めるに足る資料はない。

以上、原告らの主張する事項を個別に検討したが、その他の交際状況について、《証拠省略》によれば、原告ら側に生じた緊急時(事故による負傷や飼牛の転落など)に被告らないし家族の一部が援助したこと、原告X2方が田植えの際被告の一名に手伝って貰ったこともあること、原告X1の妻は佐伯町の愛育委員として部落内各戸への連絡等に当っていること、原告らの子弟のある者は消防団員として通常の交際をしていること、総じて双方の交際は緩慢ながら復旧の方向に向かい、被告らの中には、原告らの印象においても、以前と変らぬ交際に復したとみられる者もあること等の事情が認められる。

五、そこで、請求原因7(村八分の違法性)について判断を加える。

1  一般に、村落共同体におけるいわゆる村八分と呼ばれる共同絶交が、多くの場合その対象とされる者の名誉の毀損またはその人格権・自由権の侵害となり、民法上の不法行為を構成することは広く肯認されているところである。しかし、不法行為の要件をなす違法性の存否については、もとより実質的な評価・判断がなされるべきであり、共同絶交についても、その原因や絶交の範囲・態様・程度等を離れて論ずることはできないと解される。

そこで、前記認定の事実関係に基づいてこれを検討する。

2  本件の共同絶交(前記三で述べた意味において、一応この一般的用語を用いる)の原因について、問題の山林部分の所有権に関する原、被告らの主張(恵子ほか一名の所有か大方部落有か)の当否を判断すべき資料は、本件証拠中にはない。少なくとも、原告らの主張を一方的に誤まりと断ずることはできず、この点、被告らと異なる主張に立って立木の伐採に反対したとの一事をとらえて共同絶交に付したとすれば、右絶交は相当の理由を欠くというほかはない。

もっとも、原告ら側にも、かなり感情的になり、それをやや露骨に表明した者があって被告らの反感を買ったことが窺われるし、また、原告X3は、ふれ元としてなすべき伝達等の任務を一時にせよ遂行せず、このことが被告らによる部落の解散、被告らだけのふれ元の選出等の発想の原因となり、かつ、それに根拠を与えたことも否定できない。

3  次に、共同絶交の範囲・態様・程度等について考える。

(1)  被告らにおいて、原告らとの交際を一切拒絶するとの明らかな言明をした事実の認められないことは、前記のとおりである。

(2)  本件において、原告らが異なる取扱いをされている事項の中心的なものは、前記の各種祭礼行事及びこれに関する打合わせや伝達に関するものであるとみられる。道路・水路等の共同作業に原告らが参加していることは前認定のとおりであり、その他に諸般の共同行事が行われていることも一応推測はされるものの、その具体的な事例は明らかではない。

そして、原告らの右祭礼行事への参加を困難ならしめている理由は、形式的にはふれ元による連絡がないことであろうが、その実際的かつ本質的なものは、原告らが部落有水田(神田)の共同耕作に参加せず、したがって、祭礼費用の調達に貢献していないという点にあるとみられる。そして、被告らが右水田を分割したことが、仮に祭礼行事の分裂を暗に意味するものであったとしても、原告らは二年間は耕作に従事して収穫を得たのであるから、これを拠出して被告らと平等の地位に立ち、祭礼への参加(復帰)を要求することも可能、かつ相当であったと思われるのに、かかる方法をとった事実はない。また、その後一旦は共同耕作に戻る機運が生じたのに、原告らが進んでその実現に努力せず、かえって耕作自体を取りやめるに至ったことは、この点が紛争解決の端緒になり得たと推察されるだけに、原告らのため惜しまれるところである。

(3)  部落有山林については、被告らが分割の処置もせず、松茸代金を原告らに配分していないのは不当ともみられるが、右代金もまた従来祭礼費用等にあてられてきたものであり、祭礼への参加、不参加に随伴する問題として、同時に解決せざるを得ない性質の事柄と思われる。

(4)  葬儀については、さきにみたように原告側が挙行する場合その手伝を拒絶されると推測すべき状況はなく、被告側においてかつて手伝を拒絶したのも、共同絶交の実行というよりも、むしろ感情的な反撥が原因とみられる。婚礼の挨拶廻りは、風習の変化が窺われるし、近隣間では現に行われているのであって、原告らの疎外感はほとんど解消しているとみられる。

(5)  その他諸般の行事は、前記のように具体的事例が明らかでないが、ふれ元による伝達が行われていないとしても、部落内に有線放送設備が設けられて後は、これによって原告らに対してもそのつど連絡がなされているのが実情である。

(6)  さきにも触れたとおり、部落内の一名(一世帯)が他の全員から共同絶交を受ける典型的な場合においては、その影響は深刻であり、その者の名誉、人格に対する侵害も甚だしいものがあると考えられるが、本件はこれとやや様相を異にし、数において一四対四(後に一四対三)という大小二グループへの分裂を指向したものであって、原告らの弧立感及び現実の不利益は、右の典型的場合に比較すれば多少とも緩和されていることと想像される。

(7)  原告らにとって、部落内で少数者として異なる取扱いを受けていることの不愉快や、それが部落外にまで広く知られることによる名誉低下は、たしかに重大な問題であろう。しかも、右の状態は、徐々に改善されているとはいえ、少なくとも祭礼からの除外は延々十数年に及ぶという異常なものであって、すでに固定化の様相を帯びている。しかしながら、本件を通観すると、ことの本質は、部落共同体内の異端者ないし無能力者を共同生活圏の外に排除するというよりも、むしろ大小二集団がそれぞれに自己の立場を固守し、互いに面目にこだわり意地の張り合いを続け、和解を申入れることをも潔しとしない固い姿勢にあると看取される。このことは、部落外衆目の見るところも恐らく同様であって、原告らを共同体からの脱落者と理解するよりも、その頑固な処世態度に注目するであろうし、このように見られることは、必らずしも原告らのみの客観的な名誉の下落にはあたらないとも言い得る。そして、遡って考えると、原告らが祭礼行事に参加せぬまま多年を経過していることは、現代において、祭礼のもつ意義が多少とも稀薄化し、原告らがこれに参加しないでもさほど大きな苦痛を感じないまま生活が可能であることを意味するとも考えられるのである。もしも右苦痛が原告らの面目維持の欲求を上廻るものであれば、少なくとも前記共同耕作再開の機運に際して、原告らはより真剣な努力をしたであろう。他にその苦痛の程度を具体的に知りまたは推認すべき資料はない。

(8)  原告らが加三方区総代(大方部落選出)に絶対になり得ないとすれば、不当な差別にあたるであろうが、これとても原告らが真に選出を欲するならば、被告らにその旨を要求して話合うことにより、これを実現させることも不可能ではないと考えられる。

4  以上に述べたところを総合すると、本件がいわゆる共同絶交の一場合にあたるとしても、敢て被告らの所為のみを採り上げて共同不法行為とし、被告らに金銭賠償を命ずべきほどの違法性があるとは認め難い。原、被告らのこのような関係が今後早期に修復されることが望ましいのは勿論であるが、事柄は法的規整の範囲外にあるというべく、結局は当事者の自律にまつのが相当と言うほかはない。

六、よって被告らの不法行為を理由とする原告らの本訴請求は、損害の点につき判断するまでもなく失当であるからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田川雄三)

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